【D51蒸気機関車(周南市徳山動物園の入園ゲート近く)】 「デゴイチ」の愛称で呼ばれていたD51蒸気機関車(全長19m)は昭和11年から製造が開始された日本の代表的な機関車です。昭和46年10月広島鉄道管理局長と徳山市長との間で無償貸与契約が締結され、徳山市(現・周南市)が日本国有鉄道から譲り受け、昭和46年11月から、徳山動物園に展示保存されました。【他の写真】
【サファリカー】 国際ロータリー第2710地区(広島県と山口県にある72のロータリークラブで構成)が、2009~2010年度地区大会を記念して周南市徳山動物園に寄贈した車です。【他の写真】
【山頭火句碑(周南市徳山動物園前庭)】 山口県防府市出身の自由律俳人、種田山頭火(たねだ・さんとうか・1882~1940年)の句碑です。「新しい 法衣いつはいの陽か あたゝかい」 とあります。山頭火の親友、久保白船の夫人、清子に法衣を仕立ててもらった時に詠んだ句です。【他の写真】
【久保白船句碑(周南市徳山動物園前庭)】 山頭火句碑の隣にあります。山口県熊毛郡平生町出身の自由律俳人、久保白船(くぼ・はくせん・1884~1941年)の句碑です。「蹲(うづくま)ればふきのたう」とあります。じっとして自分の足元を見つめている自分の状態を詠んだ句です。山頭火が四国で亡くなると、白船は急いで四国に渡り遺体を荼毘に付しました。その翌年白船も急逝しました。【他の写真】
【岩井勝次郎翁頌徳(しょうとく)碑(周南市徳山動物園前庭)】 岩井勝次郎(いわい・かつじろう・京都府出身・1863~1935年)は岩井財閥を造り上げました。また、日本曹達工業株式会社(現・株式会社トクヤマ)や、日新製鋼株式会社を創業し、周南市の発展に大きく寄与しました。【他の写真】
【飯田先生旌功(せいこう)乃碑(徳山動物園内)】 周南市出身の飯田忠彦(いいだ・ただひこ・1799~1860年・従四位)は、幕末の徳山藩出身の国学者・歴史家で「大日本野史」の著者です。水戸光圀の歴史書「大日本史」は南北朝統一(1932年)で終わっていますが、飯田忠彦はその続編を野史(正史とされなかった民間の記録)として「大日本野史」(本紀21巻、列伝270巻)を38年かけて完成させました。飯田忠彦は桜田門外の変に関与したというあらぬ疑いをかけられ、抗議の自刃をしました。【他の写真】
【鳥獣魂碑(徳山動物園内)】 展示館の近くにある、この鳥獣魂碑は1997年7月に建立されました。左にある小さな「畜魂之碑」は1939年11月に設置されています。これらの碑は動物園で一生を捧げてくれた鳥や動物を慰霊する碑で、感謝してその霊を弔うために建立されました。【他の写真】
【遥拝石(ようはいせき・徳山動物園内)】 周防国徳山藩3代藩主・毛利元次(もうり・もとつぐ・1668~1719年)は信仰心が強く、朝夕、この石に座して太華山(たいかざん)山頂の仏像(不動尊)を遥拝していたと言われています。【他の写真】