何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅!

日本ハワイ移民資料館(2)2階展示場(山口県大島郡周防大島町西屋代上片山)

【ハワイでの日本語教育コーナー】1881年(明治14年)、来日したハワイ王国のカラカウア王が明治天皇に謁見し、移民を要請しました。これにより1885年(明治18年)、明治政府が正式に認めた官約移民が開始され、以後様々な形態の移民が行われました。移民のほとんどは、ハワイのオアフ島や各島のサトウキビ農園に入植していきました。しかし、時が経つにつれて、ハワイ移民の日系一世の人々は、自分達の子供の二世がアメリカナイズされていくことを懸念して、祖国である日本の言語や文化を継承するために、日本人学校を設立しました。

f:id:nagisa777aoi:20210220144903j:plain

 

 

【ハワイでの日本語教育コーナー】(歴史・教育関係資料の展示)。1893年(明治26年)、最初の日本人学校がハワイのコハラ地区に創設されました。サトウキビ畑などで働く日系移民が財源を支出し、次々に日本人学校が設立されました。これらの学校の大半は、日本の文部省により認定された教師が、文部省国定教科書を使用して教えていました。

f:id:nagisa777aoi:20210220144923j:plain

 

 

【ハワイでの日本語教育コーナー】(ハワイでの日本語教育関係資料や参考文献)。1920年(大正9年)までには、ハワイの日系アメリカ人の子供の98%が入学し、183校の日本人学校で41192人の生徒が学んでいました。ところが、1909年(明治42年)と1920年(大正9年)にハワイ・サトウキビ生産者協会に対する日系人ストライキ(労働を行わないで抗議する)が行われたのです。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210220144949j:plain

 

 

【ハワイでの日本語教育コーナー】(日本人学校創立・教育功労者への表彰状と歴史資料)。ストライキを含む労働運動を日本人学校が後押ししたと評されました。このことが日系アメリカ人共同体内部の宗教と社会的階級の問題を浮き彫りにしました。また、アメリカ合衆国国民の反日感情を悪化させましました。日本人学校の設立には仏教団体が深く関与していました。これに対して日系アメリカ人のキリスト教徒は独自の学校を設立して競合していました。さらに、日系人以外の米国国民から、日本人学校が日系アメリカ人の子供達を洗脳し、日本政府がアメリカを植民地化する意図があると非難されました。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210220145416j:plain

 

 

【ハワイでの日本語教育コーナー】(日本人学校の教科書や教材、ハワイの紹介本などを展示)。その後、日本人学校に対する規制の法律が策定(1927年米国最高裁判所で規制は違憲との判決)されるなど、日本人学校は厳しい時代を迎えました。第二次世界大戦中はハワイの日本人学校は解散せざるを得ませんでした。戦後、日本人学校は復活しましたが、在籍生徒数は極端に減少し、学校も少数となりました。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210220145438j:plain

 

 

【ペルー・ブラジルへの移民コーナー】ペルーとブラジルへの日本人移住の歴史と山口県人の移住についての資料が展示されていました。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210220145516j:plain

 

 

【ペルー・ブラジルへの移民コーナー】(ペルーへの日本人移住の歴史と山口県人の移住についての資料)。日本人が初めてペルーに移住したのは、1899年(明治32年)で、この時は790人で、そのうち187人が山口県出身者でした。以後、約18000人がペルーに移民しました。現在約10万人(実数調査ではなく推定人数)の日系人がいます。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210220145543j:plain

 

 

【ペルー・ブラジルへの移民コーナー】(ブラジルへの日本人移住の歴史と山口県人の移住についての資料)。ブラジルは世界最大の日系人居住地として知られています。日本人が初めてブラジルへ移民したのは1908年(明治41年)で、この時は781人で、そのうち30人が山口県出身者でした。以後、約26万人(山口県から約8000人)がブラジルに移民しました。現在約160万人(実数調査ではなく推定人数)の日系人がいます。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210220145611j:plain

 

 

【カリフォルニアへの移民コーナー】米国本土への渡航者(ハワイから米国本土に渡航する人も多数)は1880年(明治13年)から増え始めました。1900年(明治33年)には、日本人は全米(ハワイを除く)で約22000人、そのうちカリフォルニア州では約10000人いました。ちなみに現在の米国の日系人総数は約110万人(米国の人口は約3億3100万人)。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210220145638j:plain

 

 

【海外からの品々コーナー】展示されている大型トランクなど。長年の海外生活の後に帰国する移民たちは、当時、日本では珍しかった多数の品を、大型トランクに詰めて故郷に持ち帰りました。

f:id:nagisa777aoi:20210220145659j:plain

 

 

【海外からの品々コーナー】帰国者が大型トランクなどに詰めて持ち帰った品々。ちなみに、現在のハワイ州の人口は141万6000人(2020年10月)。そのうち日系人の人口は約36万人と言われています。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210220145722j:plainKalafina「輝く空の静寂には / 光の旋律 / Magia」