何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

夏の海2026(2)陸奥公園<2>野外展示場(山口県大島郡周防大島町伊保田)

【陸奥公園・野外展示場】 野外展示場は陸奥公園北側にある丘(伊保田の丘)の上にあります。野外展示場には、引き揚げられた戦艦陸奥の艦首、副砲、推進機(スクリュー)が展示されています。また、「陸奥乃碑」や「若鷲の碑」なども建てられています。【他の写真】

 

 

【陸奥公園・野外展示場から瀬戸内海を望む】 左側にあるのは陸奥の推進機(スクリュー)。この丘から陸奥の沈没海域を見渡すことができます。【他の写真】

 

 

【戦艦陸奥の爆沈海域を示す指標(陸奥公園・野外展示場)】 戦艦陸奥は昭和18年6月8日、柱島(はしらじま・山口県岩国市)と伊保田(陸奥公園)の中間点の海域(伊保田から4.5kmの距離)で爆沈(大爆発を起こして沈没)しました。前方にうっすらと見える富士山のような形の島が柱島。柱島の右側の小さい島は福良島(ふくらじま・山口県岩国市・柱島群島の一つ)。【他の写真】

 

 

【「陸奥乃碑」(陸奥公園・野外展示場)】 「陸奥乃碑」は地元周防大島町の東和陸奥顕彰会により建立されました。毎年6月8日には慰霊祭が開催されています。今年も6月8日に同町伊保田の油田農村環境改善センターで遺族や住民など約60人が出席して開催されました。【他の写真】

 

 

【引き揚げられた戦艦陸奥の艦首・副砲など】 左側から副砲、艦首、副砲、推進機(スクリュー)。戦艦陸奥は基準排水量が39050トンと約4万トンの大きな戦艦なので、主砲も副砲も多数装備していました。手前の推進機(スクリュー)もとても大きなものでした。【他の写真】

 

 

【戦艦陸奥・副砲】 戦艦陸奥の兵装は、主砲は45口径41cm連装砲4基、副砲は50口径14cm単装砲18門、40口径12.7cm連装高角砲4基、25mm連装機銃10基となっています。【他の写真】

 

 

【戦艦陸奥・艦首】 戦艦陸奥の艦首には菊の御紋章が取り付けてありましたが、ここにはありません。戦艦陸奥の菊の御紋章は海上自衛隊幹部候補生学校のある広島県江田島市の教育参考館に保管・展示されています。【他の写真】

 

 

【戦艦陸奥・副砲】 戦艦陸奥の副砲は艦体の左右に各9門、計18門装備されていました。重量は砲座を含めて約18トン。砲身の長さは約7mです。主砲は敵の戦艦など大型艦を攻撃しますが、副砲は接近してくる敵の駆逐艦や水雷艇など小型艦や上空の航空機などを攻撃します。【他の写真】

 

 

【戦艦陸奥・推進機(スクリュー)】 戦艦陸奥はタービン4基4軸推進、82000馬力で、4基の推進機(スクリュー)を備えていました。この推進機(スクリュー)はとても大きなもので、驚きました。小柄な私が傍に立つと、先端をはるか見上げるようで、これが高速で回転することを想像すると怖かったです。直径4.2m、重量は約11トンもあります。約4万トンの大きな軍艦を動かすにはこの大きな推進機が4基も必要なのですね。当時の造船技術はすごいと思いました。この推進機は広島県呉市の大和ミュージアムにも展示されています。【他の写真】

 

 

【「若鷲の碑」】 「若鷲の碑」は予科練甲飛11期生戦没者を慰霊して建立されました。戦艦陸奥に乗艦していた海軍飛行予科練習生甲飛11期生135名中、124名が爆沈で殉死しました。亡くなった“若鷲”(若いパイロット)を慰霊するため建立されました。なお、この碑には同期生全員の氏名が刻んであります。海軍飛行予科練習生は海軍のパイロットになるための訓練生です。【他の写真】

島倉りか「カナダからの手紙」