何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

室積半島(6)峨嵋山麓と室積湾の風景(山口県光市室積)

室積半島(むろづみはんとう)の先端に聳える峨嵋山(がびさん)。峨嵋山は普賢寺の近くにあり、峨嵋山樹林は文化庁所管の天然記念物に指定されています。標高117mで、山口県百名山では2番目に低い山です。

 

 

峨嵋山麓、普賢寺の隣には、光市室積出身の外交官、松岡洋右(まつおか・ようすけ)の碑がありました。国際連盟総会に日本政府全権として出席した松岡洋右は、昭和8年2月24日、国際連盟脱退宣言書を朗読し退場しました(日本政府の既定方針)。その後、満鉄総裁、外務大臣を歴任。日独伊三国同盟、日ソ中立条約を締結しました。【他の写真】

 

 

峨嵋山自然研究路入口。国指定天然記念物に指定されている峨嵋山樹林の中を、峨嵋山の山頂に向かって登って行きます。途中には解説板が13カ所に設置してあります。赤い鳥居がありましたが、峨嵋山には杵崎神社(きざきじんじゃ)と護国神社があります。また、鼓ヶ浦海岸はクサフグの産卵地として知られています。【他の写真】

 

 

峨嵋山登山は止めて、海岸沿いの樹林に囲まれた道路を車で進みました。山口大学教育学部附属小学校・中学校のそばの道路を抜けると、行き止まりになっており、広場と駐車場がありました。この広場から象鼻ヶ岬まで歩いて行くこともできます。車を降りて海岸に出ることにしました。【他の写真】

 

 

広場には忠魂碑が建っていました。出征し戦死した光市周辺地域出身の兵士のために製作された記念碑です。忠魂碑の側面に「陸軍大将一戸兵衛書」と刻まれていました。一戸兵衛(いちのへ・ひょうえ・1855~1931年)は青森県出身の軍人(陸軍大将)。日清戦争では連隊長として、日露戦争では旅団長として戦いました。その後師団長、教育総監に就任。退役後学習院長、明治神宮宮司、帝国在郷軍人会会長を歴任。【他の写真】

 

 

広場から歩いて海岸まで出ました。若い男性が一人で釣りをしているのが目に入りました。【他の写真】

 

 

広場前の海岸から室積湾(御手洗湾)を望む。散歩に来た人達が釣りをしている若い男性に話しかけていました。私も「こんにちわ」と挨拶して少し話しました。

 

 

砂浜に降りてみました。砂浜の向こうには山口大学教育学部附属小学校・中学校の校舎が見えました。ボートも数隻係留され浮かんでいました。

 

 

砂浜から室積湾(御手洗湾)を望む。前方の室積半島には、普賢寺、海商通り、北町児童遊園地、みたらい通りなどが見えます。室積湾は元々昔から御手洗湾と呼ばれていたそうです。その名称は、神功皇后(じんぐうこうごう・169~269年・第14代天皇の皇后)が朝鮮に出兵した際、この地に立ち寄って手を洗ったことに由来すると伝承されています。

 

 

砂浜に黒猫がいました。ここには写っていませんが、しばらくして、もう1匹、左側に猫が現れました。2匹は友達のように見えました。【他の写真】

ウキ 「未来へ(Kiroro)」~ なかなか会えない母へ~