何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

比治山公園(1)芸術と原爆と鎮魂の丘(広島県広島市南区比治山公園)

比治山陸軍墓地内のフランス人墓地から広島市街地と瀬戸内海を望む。中央に広島湾に浮かぶ似島(にのしま)の安芸小富士(あきのこふじ=標高278m・富士山に似ています)が見えます。その左側後方に旧海軍の海軍兵学校(現・海上自衛隊幹部候補生学校)で有名な江田島能美島も見えます。比治山公園広島市現代美術館や数々の野外彫刻など華やかな芸術の丘として知られていますが、放射線影響研究所陸軍墓地などもあり、鎮魂の重さを感じさせられる空間でもあります。

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広島市現代美術館比治山公園北部)。大規模な改修工事の為休館中です。(2023年3月リニューアルオープン予定)。桜の名所でもある広い比治山公園(公園内は車で移動します)は広島市内の小高い丘(標高71m)にあり、原爆ドームのある平和記念公園から南東2kmに位置します。広島市現代美術館広島市まんが図書館、数々の野外彫刻、放射線影響研究所陸軍墓地などがあり、多数の人々が常時訪れています。【他の写真】

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広島市現代美術館入口。4年前に訪れた時の写真です。現代美術を専門とする美術館として黒川紀章が建築設計し1989年(平成元年)にオープンしました。主として第二次世界大戦以降の作品が収集保存されています。【他の写真】

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ムーアの広場(4年前の写真・現在は改修工事で広場は閉鎖されています)。ヘンリー・ムーア作の「アーチ」が展示されていました。鋳造(ブロンズ)で、高さ約6m。1969年に制作され、その後1985年~86年に当時の西ドイツで鋳造され、広島に運ばれてきた作品です。ヘンリー・ムーア(1898年7月30日~1986年8月31日)は20世紀のイギリスを代表する芸術家・彫刻家。日本各地の美術館に作品が展示されています。【他の写真】

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広島市まんが図書館(比治山公園北部)。1997年5月開館。サービス休止期間中なので、中に入ることはできましたが図書室は入室禁止。写真撮影は許可されました。予約したら図書館員さんが本を揃えてくれて受付カウンターで借りることができます。蔵書冊数155000冊のうち99%が漫画とのこと。来館者は子どもからお年寄りまで幅広いそうです。漫画関係資料や絵巻物、戯画、風刺画なども収集しています。漫画図書館は広島県のほかに、東京都、岐阜県京都府和歌山県岡山県、福岡県などにもあります。【他の写真】

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広島市まんが図書館そばの公園にある彫刻。最上寿之(もがみ・ひさゆき)作「テクテクテクテク」。ブロンズ製で高さ3.9m。「自分の足で大地を踏みしめて歩く安定感と自由な未来を求める人間生活」という意味を現しています。最上寿之は1936年3月3日、神奈川県横須賀市生まれ。東京芸術大学彫刻科卒。武蔵野美術大学教授、同大学名誉教授。紫綬褒章旭日小綬章。彫刻の後ろは石垣を掘り下げた壁泉(へきせん=イタリアやフランス式の庭園にある人工の滝)です。彫刻の下にはポルトガルから輸入した石が敷き詰められています。【他の写真】

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公益財団法人・放射線影響研究所比治山公園南部)。原爆の被爆者の協力を得て、原爆放射線の健康影響の調査、病理的調査・研究を行う行政機関です。日本国政府と米国政府が1975年に設立、運営しています。コロナで建物内部の見学はできませんでした。なお、同研究所は広島市街地に移転する計画があります。【他の写真】

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公益財団法人・放射線影響研究所の前進は1947年に米国学士院が設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)でした。翌年、厚生省国立予防衛生研究所が参加、米国と共同で大規模な被爆者の健康調査に着手しました。1955年に研究計画の見直しがされ、1975年に現在の放影研放射線影響研究所)となり、2012年に公益財団法人に移行しました。現在の同研究所理事長は大久保利晃(おおくぼ・としてる=元産業医科大学楽長、医学博士、大久保利通の曾孫)。なお、同研究所は長崎にもあります。【他の写真】

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比治山陸軍墓地比治山公園南部)。西南戦争から第二次世界大戦までの戦死者など約4500柱が埋葬され、3500基の墓石が並んでいます。日本兵士のほかに、外人兵士の墓地もあります。明治5年に国有墓地として整備されましたが、現在は広島比治山陸軍墓地奉賛会が維持・管理をしています。【他の写真】

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比治山陸軍墓地内にあるフランス人兵士の墓地。このほか外人墓地としては、中国人兵士、ドイツ人兵士の墓地があります。【他の写真】

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加藤友三郎銅像台座(比治山公園北部)。広島県初の内閣総理大臣、元帥海軍大将・加藤友三郎銅像が1935年(昭和10年)に建立されましたが、戦時中の1943年(昭和18年)、金属回収令により銅像だけが撤去されました。以後、ここには台座だけが意図的に残されています。なお、2008年(平成20年)、広島市中央公園に加藤友三郎銅像が建立されました。【他の写真】

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銅像建設由来碑」石枠。この石枠には加藤友三郎銅像建設由来碑文が記された銅板が組み込まれていましたが、同じく金属回収令で撤去されました。銅像台座と碑文石枠は加藤友三郎の意に反して米英との戦争に突入した日本帝国の遺産として、また、二度と無謀な戦争を起こさないための誓いとして現在まで、そのまま残されています。加藤友三郎についてはこちら。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20220205135835j:plainAmylee「世界が終るまでは