何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

安芸の小京都・竹原(7)たけはら町並み保存地区<5>頼惟清旧宅、街並みギャラリーS(広島県竹原市本町3丁目)

昔ながらの木造建築の屋敷が建ち並ぶ、たけはら町並み保存地区(重要伝統的建造物保存地区)の本町通りを散策してきましたが、突き当りに、胡堂が見えてきました。通りの散策も終わりに近づきました。【他の写真】

 

 

【頼惟清(らい・ただすが)旧宅】 幕末の尊王攘夷運動に多大な影響を与えた歴史家・思想家、頼山陽(らい・さんよう・「日本外史」の著者)の祖父、頼惟清(1707~1783年)が紺屋(こうや=染物屋)を営んでいた邸宅です。江戸中期の1775年頃の建築。昭和32年に県史跡に指定されました。【他の写真】

 

 

【頼惟清旧宅・内部】 中央に土間があり、左右に和室がありました。頼惟清は家業の傍ら和歌を学んだ文化人でした。頼惟清の長男、頼春水(らい・しゅんすい=頼山陽の父)も儒学者・詩人で広島藩の藩儒に招聘されました。【他の写真】

 

 

【頼惟清旧宅・内部・右側の和室】 座敷の奥には「生涯一片青山」の額がありました。頼山陽の書です。この一行書は、中国の十国南唐の第3代国主、李煜(りいく・937~978年)が詠んだ詩、「人生は山あり谷ありで、良い時も悪い時もあり、喜びもあれば悲しみもある。どんな人生でも最後は死して一基の墓に収まる。それが定めである」から引用されています。青山はこの詩では墓地の意味に捉えられています。【他の写真】

 

 

頼山陽の詩碑】 頼惟清旧宅の奥にある庭に建っていました。頼山陽(45歳)が母を広島に送る途中、竹原に立ち寄り帰省した時、詠んだ詩です。【他の写真】

 

 

【街並みギャラリーS・全景】 竹原市出身の画家、安森征治(やすもり・せいじ・1941年~)氏が自身の旧宅を改装してオープンさせたギャラリーです。Sは征治のSです。

 

 

【街並みギャラリーS・入口】 入場は無料でした。安森征治氏は、広島大学教育学部美術科卒業。日展入選後東光会審査員推挙、日展特選受賞、紺綬褒章文部科学大臣賞。福山平成大学教授、東光会理事、日展会友など。安森征治氏の略歴はこちら【他の写真】

 

 

【街並みギャラリーS・内部展示室】 人物像の彫刻や人形、絵画、安森征治氏の絵画やスケッチが多数展示されていました。安森氏がインド取材旅行で描いたスケッチ画も多数ありました。インドの風俗や暮らしが象徴的に美しく表現されていて、また、人物像の彫刻などにも興味が湧き、このギャラリーで長い時間を過ごし、癒されました。【他の写真】

 

 

【街並みギャラリーS・内部展示室】 安森征治氏の絵画「母と子」(プシュカール)も展示されていました。安森氏はインド取材旅行した時、インド北西部のプシュカールも訪れています。【他の写真】

 

 

【街並みギャラリーS・ホール展示室】 安森氏がインド取材旅行した時のスケッチ画、「しなをつくる踊り子」(出を待つ美しいダンサーが指を頬にあててポーズをとり私を描いて、と目でスケッチを促す)、「緋色のターバン」(顔が埋まりそうな派手で大げさなターバンを頭に着け、祭りに集う精悍な表情の若者たち)などが展示されていました。【他の写真】

Jo A Ram (violin cover)「波止場しぐれ」