何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

安芸の小京都・竹原(3)たけはら町並み保存地区<1>頼山陽広場、旧笠井邸(広島県竹原市本町1丁目)

頼山陽広場】 「道の駅たけはら」から、たけはら町並み保存地区へ行く途中、本川沿いにある頼山陽広場は、頼山陽(らい・さんよう)の故郷が竹原市であることを記念して平成18年に完成しました。竹原市民の心の中には頼山陽が永遠に生き続けているのでしょう。【他の写真】

 

 

頼山陽銅像頼山陽の詩碑、頼山陽概略伝記・家系図】 頼山陽広場には頼山陽銅像や詩碑などが建っています。詩碑には頼山陽漢詩「題不識庵撃機山図(不識庵 機山を撃つの図に題す)」の「鞭聲粛々夜過河(鞭声粛々夜河を過る)……」が刻まれていました。上杉謙信武田信玄川中島の合戦を詠んだこの漢詩は有名です。【他の写真】

 

 

頼山陽銅像】 この座像は頼山陽生誕200年を記念して、彫刻家・南部祥雲氏により製作され、昭和55年7月19日に建立除幕されました。頼山陽は江戸時代後期の安永9年12月27日(1781年1月21日)、大阪生まれ。歴史家・思想家・漢詩人・文人従三位頼山陽の主著「日本外史」は日本史上のベストセラーになりました。頼山陽の父、頼春水(らい・しゅんすい)は安芸竹原(竹原市)で紺屋(染物屋)を営む豪商の長男として生まれました。後に儒学者・詩人として大成しました。広島藩300石、従四位【他の写真】

 

 

【旧笠井邸】 たけはら町並み保存地区入口にあります。浜だんなと言われる塩田経営者・笠井清八氏の邸宅として明治5年に建築されました。外観の左側が平入屋根、右側が妻入屋根の2棟構成の珍しい建造物です。慶安3年(1650年)に築かれた竹原塩田は大成功をおさめ、良質な塩は北前船などの廻船で遠くは新潟や青森まで運ばれ、竹原塩田は全国に知られました。製塩業は昭和34年の塩田廃止まで、310年間竹原の基幹産業として栄えました。

 

 

【旧笠井邸・1階】 旧笠井邸は「NPO法人ネットワーク竹原」が管理運営し無料開放しています。邸内1階には製塩関係の各種資料が展示されています。ここで販売されている「たけはらの塩」(1袋500円)を買いましたが、とても美味でした。【他の写真】

 

 

【二弦の琴】 旧笠井邸の1階には、「二弦の琴」が展示されていました。平成15年10月、たけはら町並み保存地区の竹鶴酒造(日本のウイスキーの父・竹鶴政孝の生家)で見つかりました。「二弦の琴」は江戸時代に普及した琴で「八雲琴」とも呼ばれています。【他の写真】

 

 

【旧笠井邸・2階和室】 2階の和室はとても落ち着いた風情で癒されました。大きな屏風や竹原を舞台にしたアニメ「たまゆら」のパネルが展示されていました。【他の写真】

 

 

【アニメ「たまゆら」パネル展示】 2階和室にはアニメ「たまゆら」の「卒業写真」のパネルが展示されていました。また、竹原市のイベント、「たけはら町並み雛めぐり」(2月11日~3月21日・今年は中止)や、「たけはら憧憬の路~町並み竹灯り」(今年は10月29日開催)のパネルも展示されていました。【他の写真】

 

 

【旧笠井邸・2階イベントスペース・ステージ】 このステージで琴の演奏や音楽演奏、ライブなどが行われます。「市の木」が竹の竹原市らしく竹のインテリア(?)でしょうか、竹が沢山設置されていました。また、ステージの上の、大きい梁は見事でした。ビックリしました。【他の写真】

 

 

【旧笠井邸・2階イベントスペース・観客席】 スタッフさんによると、旧笠井邸は、一時はアパートになっていたとのことです。それをNPO法人が借り上げて展示とイベント会場に改装し。一般開放したそうです。旧笠井邸は建築物としても、明治初期の豪邸の造りは見応えがありました。【他の写真】

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