何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

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比治山公園(5)放射線影響研究所(広島県広島市南区比治山公園)

放射線影響研究所全景(比治山公園内・写真は同研究所サイトより)。公益財団法人・放射線影響研究所(略称=放影研)は外務省所管及び労働省健康局所管の特例民法法人です。昭和50年(1975年)4月原爆傷害調査委員会(ABCC)と厚生省国立予防衛生研究所・原子爆弾影響研究所を再編し発足しました。【他の写真】

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放影研施設。広い駐車場には車が多数駐車していました。後ろの鉄塔はNHK比治山FM放送所で、放影研とは無関係です。放影研は日米共同出資方式の財団法人・放射線影響研究所として設立されましたが、後に平成25年(2012年)、公益財団法人に移行しました。【他の写真】

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放影研正面玄関横にプレートと設立目的と研究調査の説明版がありました。放影研は原爆被爆者の健康調査及び被曝の病理的調査・研究を行う研究機関で、日本国政府アメリカ合衆国政府が設立・運営しています。放影研長崎市にもあります。【他の写真】

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放影研正面玄関。コロナの為、建物内部の見学は断られました。放影研の前身である原爆傷害調査委員会(ABCC)は昭和21年(1946年)に米国科学アカデミー(NAS)が設立しました。昭和20年8月6日に広島市に投下された原子爆弾による傷害の実態を調査・記録するためです。【他の写真】

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放影研施設は、ABCC当時の施設もそのまま使用しています。この建物も外部からは遮断されていました(中に人がいるのは外から確認できました)。ABCCの施設は比治山の山頂(現・比治山公園)に建築されましたが、カマボコ型の特徴的な建物でした。ちなみに、このカマボコ型の建物は米軍の兵舎によく見られるものです。【他の写真】

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放影研施設。比治山陸軍墓地側(南側)から撮影しました。アメリカの調査機関であるABCC(翌年から日本の厚生省国立予防衛生研究所も参加)は調査が目的であるため、被爆者の治療は一切行いませんでした。個人の健康診断は行われましたが、公表されませんでした。そのため、調査の対象になった多数の被爆者たちは「自分たちは被曝の効果を調べるための研究材料にされた」と証言し、ABCCは批判されました。【他の写真】

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放影研内部の研究作業風景(サンプルを冷凍庫に入れる作業・写真は放影研サイトより)。終戦直後から、被爆者や被曝2世約3万人から提供された血液や尿、約190万本のサンプルがマイナス80度の冷凍庫に保存されています。現在の公益財団法人・放射線影響研究所(丹羽太貫理事長)は、広島・長崎の原爆被爆者の協力のもとに、平和目的のために、放射線の影響調査に重点を置いています。【他の写真】

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放影研施設。北側から撮影。この施設の向こう側に比治山陸軍墓地があります。放影研の研究業務は、具体的には被爆者及びその子供の健康状態、死亡率に関する疫学調査と臨床調査、放射線生物学、免疫学、遺伝学、分子疫学において、実験を基にした調査研究を行っています。ABCCや同研究所の歴史資料も保存されています。なお、同研究所は現在、比治山公園から広島市の市街地に移転が検討されています。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20220320172432j:plain藤本☆小夏とファンタジー「グッド・バイ・マイ・ラブ」