堀にかかる石橋から北西方向の城山(標高200m)を望む。中央には岩国城ロープウェイ、右上の山頂には桃山南蛮造りの岩国城が聳えています。堀の左側には吉香公園が広がっています。
石橋の反対側、南東方向には吉香花菖蒲園があり、その左手の白い建築物が吉川史料館です。吉香花菖蒲園の向こうには、山口県最大の大河、錦川が流れており、右後方に錦帯橋が架かっています。【他の写真】
石橋を渡ると、煉瓦造りの岩国徴古館があります。その右側の白い建物が、吉川史料館のある昌明館付属屋。岩国徴古館は昭和26年に公益財団法人吉川報效会(吉川重幹代表)により岩国市に博物館として寄贈されました。代表の吉川重幹(きっかわ・しげもと)氏は安芸吉川家第32代当主(岩国藩主吉川家第5代当主、岩国領主吉川家第16
代当主)。【他の写真】
吉川史料館のある昌明館付属屋及び門(岩国市指定文化財)西側の長屋。所有者は公益財団法人吉川報效会。寛政5年(1793年)岩国第7代領主・吉川経倫(きっかわ・つねとも)公の隠居場所として建築された昌明館(しょうめいかん)に付属する建物の一部です。【他の写真】
昌明館付属屋の門(長屋門)と東側の長屋。明治4年の廃藩置県時には岩国県庁が置かれました。18世紀末の建築様式を留めています。【他の写真】
長屋門。吉川史料館の正門になっています。吉川史料館は800年もの歴史を有する吉川家に伝来した歴史資料、美術工芸品、約7000点が収蔵されています。そのうち2500点の歴史資料が国指定重要文化財に指定されています。2500点の美術工芸品の中には、国宝の太刀1点、国指定重要美術品8点があり美術的にも高く評価されています。【他の写真】
門を入ると中庭があり、昌明館付属屋及び門の説明版があります。前方の大きな建物は史料館で、展示室があります。【他の写真】
史料館に至る回廊。吉川氏は藤原氏の分かれで、寿永2年(1183年)頃、駿河の入江庄にいた入江景義の嫡男、義経が、駿河の入江庄吉川(静岡県清水市)に居館を構えて吉川と称したのが始まりです。
史料館前の回廊。吉川氏の4代・経光は、承久の乱(1221年)に功を立て、安芸の大朝庄の地頭となりました。吉川家5代・経高の時、正和2年(1313年)安芸の大朝に移住しました。11代・経基は、応仁の乱(1467~8年)で東軍(細川勝元)に属して勇名を馳せました。【他の写真】
吉川史料館入口。吉川家13代・元経の妻は毛利元就の妹であり、元就の妻は元経の妹でした。吉川家と毛利家は姻戚関係になったのです。14代・興経の死後、元就の次男、元春が興経の養子となり吉川家を継ぎました。【他の写真】
史料館内受付・ホール。17代・広家は関ヶ原の戦い(1600年)前後、毛利家の存続を計って徳川家康に内通し暗躍しました。関ヶ原の戦い後、吉川家は岩国藩6万石に移封(いほう)され、広家は岩国初代領主になりました。3代・広嘉は1673年錦帯橋を創建。13代・経健は明治24年(1891年)に子爵に昇叙されました。現在の吉川家当主は吉川重幹氏。【他の写真】
展示室入口。展示室では、「吉川広家の関ケ原合戦~広家と黒田官兵衛・長政父子」が開催され、資料40点が展示されていました。9月26日まで。(展示室内は写真撮影不可でした)【他の写真】