何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

広島県立美術館(4)所蔵作品展<コレクション・フォーカス「伝統と革新―児玉希望展にちなんで」江戸時代~近現代の日本画、漆芸>(広島県広島市中区上幟町2-22)

【「霜紅飛泉」<1950(昭和25年)・児玉希望(写真は広島県立美術館のサイトより・今回の展示企画作品ではありません)>】 児玉希望(こだま・きぼう)は1898年(明治31年)7月5日広島県安芸高田市高宮町生まれ。河合玉堂門下。日本画家。帝展で特選。1952年(昭和27年)の作品「室内」で日本芸術院賞受賞。日本芸術院会員。日展常務理事、勲三等旭日中綬章受章。1971年(昭和45年)5月2日死去。享年72歳。【他の写真】

 

 

【「伊万里柿右衛門様式色絵馬」(17世紀後半・江戸時代)】 伊万里焼(有田焼)は17世紀初頭から佐賀県有田町を中心とした地域で作られた磁器の総称です。伊万里焼は江戸時代中期からオランダ東インド会社を通じてヨーロッパ方面へ盛んに輸出されました。特に華麗な色絵を施した柿右衛門様式はマイセンなどヨーロッパの磁器焼成に大きな影響を与えました。この色絵馬は、どっしりとした躯体、眼をかっと見開いた馬の緊張感ある表情をしています。【他の写真】

 

 

【「伊万里柿右衛門様式色絵馬」(17世紀後半・江戸時代)】 この色絵馬の華麗な衣装の文様は作品の美しさを際立たせています。オランダ東インド会社を通じた注文に応じた有田の陶工の力量が発揮された作品です。現在、このような色絵馬は世界で6体しか確認されていません。その中の2体が広島県立美術館に収蔵されています。この2体はフランスからの里帰り品です。【他の写真】

 

 

【「蒔絵やつで香筥」(江戸時代末期~明治時代・梶山明細)】 「蒔絵やつで香筥(まきえやつでこうばこ)」は箱全体をヤツデの葉と果物で埋め尽くした奇抜なデザインです。梶山明細(かじやま・めいさい)は江戸時代末期~明治時代の蒔絵師で生没年不詳。幕府の蒔絵仕手頭・四代田邊源助に漆技を学びました。その後、徳川家御細工所で作品制作に従事しました。明治維新後はフィラデルフィア万国博覧会や日本国内の内国勧業博覧会に作品を出品して活躍しました。【他の写真】

 

 

【「九老図(堀南湖賛)」<1749年(寛延2年)・望月玉蟾>】 「九老図(堀南湖賛)」<きゅうろうず(ほりなんこさん)>は1幅、絹本彩色。縦116.2cm、横43.4cm。望月玉蟾(もちづき・ぎょくせん)は1692年(元禄5年)生まれ。京都の蒔絵師の子に生まれました。江戸時代中期の日本画家で望月派の派祖(開祖)。土佐派や狩野派日本画家に学び、また、漢画や書も学びました。水墨画、着色山水画で知られています。延享年間(1744年~1748年)には宮廷に上がり、障壁画なども制作しました。1755年(宝暦5年)死去。享年63歳。【他の写真】

 

 

【「花卉文壺」(<1926年(大正15年)・清水南山>】 「花卉文壺」(かきもんつぼ)は側面に4つの円い窓を設け、3種類の抽象化した植物を配置しています。清水南山(しみず・なんざん)は1875年(明治8年)3月30日広島県三原市生まれ。彫金家。東京美術学校(現・東京藝術大学)彫金科卒。同研究科卒。東京美術学校教授。帝室技芸員。日本彫金会会長。帝国美術院会員。結核性腹膜炎を患い、1948年(昭和23年)12月7日、東京の自宅で死去。享年73歳。【他の写真】

 

 

【「金地山水蒔絵手箱」<1908年(明治41年)・船橋舟珉>】 「金地山水蒔絵手箱」(きんじさんすいまきえてばこ)は木製、漆工、蒔絵。高さ14.8cm、幅25.8cm×22.9cm。船橋舟珉(ふなはし・しゅうみん)は1859年(安政6年)江戸生まれ。蒔絵師。明治10年精工社の職人を経て独立。内国勧業博覧会万国博覧会、漆工競技会などに作品を発表して活躍しました。没年不詳。【他の写真】

 

 

【「蒔絵草花図・菓子銘々盆」<1911年(明治44年)・六角紫水>】 「蒔絵草花図・菓子銘々盆」(まきえくさばなず・かしめいめいぼん)は、蒔絵と螺鈿(らでん・貝殻の真珠層を薄く加工し漆器や着物なその装飾に用いる)の技法により、菊(キク)、鈴蘭(スズラン)、河骨(コウホネ)などの草花を絵替わりで表現した盆です。六角紫水(ろっかく・しすい)は1867年(慶応3年)4月24日広島県江田島市生まれ。広島師範学校(現・広島大学教育学部)卒。小学校教員。東京美術学校(現・東京藝術大学)1期生として漆工科卒。卒業と同時に同校漆芸科助教授に就任。日本美術院創立に参加。岡倉天心横山大観らと渡米。ボストン美術館メトロポリタン美術館に勤務。その後、ロンドン、パリ、ドイツ、ロシア、清国を巡って帰国。古典技法の研究と応用作品を発表。パリ万国博覧会受賞。東京美術学校教授。帝展審査員。帝国美術院賞受賞。芸術院会員。1950年(昭和25年)4月15日死去。享年82歳。 【他の写真】

倉木麻衣「渡月橋~君想ふ~」