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錦帯橋まつり(4)岩国藩鉄砲隊演武<2>勇壮な射撃演武(山口県岩国市岩国・下河原駐車場)

錦帯橋から下流の下河原駐車場右端の射撃演武会場を望む】 吉香公園(岩国市横山地区)を出発した岩国藩鉄砲隊の隊列行進は、山口県最大の大河、錦川に架かる錦帯橋を渡って岩国地区に出て、錦帯橋下流の下河原駐車場の射撃演武会場に向かっています。【他の写真】

 

 

岩国藩鉄砲隊射撃演武会場(下河原駐車場)】 岩国藩藩主・吉川家の家紋「蛇の目九曜紋(じゃのめくようもん)」の旗を各自掲げ火縄銃を装着した鉄砲隊員が整列しています。その右側には「蛇の目九曜紋」の陣幕が張られ、左右に「岩国藩鉄砲隊」の幟旗が立っています。【他の写真】

 

 

【射撃演武会場には観光客がスマホやカメラ、ビデオカメラを構えて演武を待っています】 射撃演武の前に岩国藩鉄砲隊の歴史がマイクで語られました。また、共演として島根県松江市から駆け付けた松江城堀尾鉄砲隊・姉さま鉄砲隊が紹介されました。いよいよ勇壮な射撃演武が開始されます。

 

 

【整列した岩国藩鉄砲隊員と指揮官の隊長】 1600年(慶長5年)の天下分け目の戦い、関ケ原合戦で、西軍の総大将・毛利輝元毛利元就の孫、吉川広家の従兄弟)は敗戦で周防、長門の二か国に減封されました。

 

 

【最初に射撃指揮官が短筒(たんづつ=片手で発射できる短い火縄銃)で錦帯橋まつりを祝して祝砲を撃ちます】 吉川広家も出雲富田(島根県)14万石の城主から、岩国3万石(後に6万石)に減封され、岩国藩初代藩主となりました。

 

 

【片手により単筒(火縄銃)で祝砲を発射(空砲)しました】 1697年(元禄10年)の御家人帳には、岩国藩の家臣は1476人、その中で鉄砲組と呼ばれる足軽は4組250人と記録されています。鉄砲組は岩国の錦見(にしみ)や海土路(みどろ)で砲術訓練を行っていたと記録されています。

 

 

【射撃準備のできた鉄砲隊員が立ったまま高い位置で火縄銃を構えています】 この鉄砲組を後世に継承しようと1987年(昭和62年)4月、岩国藩鉄砲隊保存会が発足し、石田流古式砲術を伝承し戦国時代の様式を再現した岩国藩鉄砲隊として復興させ、現在に至っています。

 

 

【指揮官の「放て!」の号令で立ち放し(立ったままでの射撃)で火縄銃の一斉射撃(空砲)が行われました】 現在岩国藩鉄砲隊保存会は2025年(令和7年)4月現在で、名誉顧問・吉川重幹(吉川家当主)をはじめ、顧問、役員、鉄砲隊隊員など26名が所属しています。女性隊員も数名います。【他の写真】

 

 

岩国藩鉄砲隊の射撃演武会場には多数の観光客が見学に来ていました】 岩国藩鉄砲隊の火縄銃は江戸時代に製作された古式銃を整備して使用しており、長州筒7丁を含む32丁の火縄銃を有しています。これらの火縄銃は口径13mmの細筒(小筒)ですが、斉射(一斉射撃)の轟音は周囲を圧するほどです。【他の写真】

 

 

【射撃準備のできた鉄砲隊員が座ったまま火縄銃を低い位置で構えています】 鉄砲隊員は石田流古式砲術の指南を受け、銃の操作、放ち方(撃ち方)、火薬の取り扱いなど、安全に基づいて厳しい訓練を繰り返しています。主な放ち方(撃ち方)は、立ち放し、腰放し、膝台放しがあり、それぞれ斉射(一斉射撃)、連れ放し(連射)があります。

 

 

【指揮官の「放て!」の号令で膝台放し(左膝は目標物に向かって立て、右膝は上体を支えるように斜めに折り低い位置で射撃する)で火縄銃の一斉射撃(空砲)が行われました】 石田流古式砲術の特徴として、狭い戦場で敵に包囲された時、要人を守護するため円陣で囲み、撃ちながら包囲網を突破する「円陣放し」という実戦に基づいた演武などがあります。【他の写真】

 

 

【火縄付けをして射撃命令を待ちます】 岩国藩鉄砲隊の射撃演武は錦帯橋下流の下河原で、毎年元日と錦帯橋まつり(4月29日)で行います。

 

 

【「放て!」の号令で斉射(一斉射撃)。演武は全て実戦に基づいています】 また、岩国藩鉄砲隊は、山口県萩市の萩時代まつり、島根県松江市の松江武者行列、広島県の吉川鉄砲まつり、大阪府堺市の堺まつり、鹿児島県種子島の鉄砲伝来火縄銃大会などなど各地の歴史的イベントで射撃演武を披露しています。【他の写真】

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