高森天満宮由緒と芭蕉の句碑。一の鳥居近くにあります。由緒は、主神【菅原道真公】、社祠(しゃし・神をまつる殿舎)を建立した蓮華山総持寺住職・活宗和尚、高森天満宮を創立した通化寺住職・戒文禅師について記されています。【他の写真】
芭蕉の句碑。「一声の江に横たふやほととぎす」。元禄六年(1693年)、【松尾芭蕉】が50歳の時に詠んだ句です。「ホトトギスが鋭く鳴いて大河の上を飛び過ぎて行き、その声の余韻が消えずに水の上に横たわっているようだ」と詠まれています。【他の写真】
高森天満宮改築記念碑。高森天満宮は昭和36年7月に改築されました。その後、昭和53年に現在のような赤い近代色に塗り替えられました。【他の写真】
戒文禅師の碑。参道東側にあります。明治初年の頃、通化寺住職だった戒文禅師が総持寺に隠居して寺小屋を開設し、学問の神様を主神とする天神様を復興して高森天満宮を創立しました。【他の写真】
人磨神社(ひとまろじんじゃ・【柿本人麻呂】が祭神)。参道東側に平成11年に建立されました。水害・火災の厄除けの守神として島田川の河畔に鎮座されていましたが、その後、高森天満宮境内に移され、拝殿に合祀されました。【他の写真】
塞荒神社。平成11年9月、社殿の西側に建てられました。「ご婦人の腰から下の病気に効能あらたか」と記されています。旧天神橋のふもとに鎮座されていましたが、戦後高森天満宮に合祀されました。【他の写真】
高森天満宮社殿前の「なで牛」。丑年生まれの菅原道真公は、牛が反芻するように、学問においても繰り返し勉強したことから、牛を大切にしました。自分の身体の病んだ部分や具合の悪い部分をなでた後、この「なで牛」の身体の同じ部分をなでると、悪いところが牛に移って自分の病気が治るという信仰があります。【他の写真】
手水舎(ちょうずや)。社殿前の参道横にあります。日本の神様が最も大事にされるのは”清浄”であることです。手水舎で手などをすすぎますが、同時に心のけがれも水に流す気持ちで心も洗いましょう。二つの石の水盤(鉢)は明治29年に寄贈されたものです。【他の写真】
天神座。広い境内の広場の東側にあります。お祭りの時に、この舞台で上演される色んな出し物が参拝者を楽しませてくれます。【他の写真】
杉敏介(すぎとしすけ)の歌碑。高森天満宮近くの天神橋の近くにあります。教育者【杉敏介】は明治5年5月28日生まれ。周東町差川(島田川周辺地区)出身。第一高等学校教授、校長などを歴任。夏目漱石の小説「吾輩は猫である」の津木ピン助のモデル。歌人でもあります。同郷の【岸信介】の恩師でもある杉敏介は、終戦後、戦犯容疑で収監される岸信介に「二つなき命にかへて惜しけるは 千歳に朽ちぬ名にてこそあれ」という歌を贈りました。”命を惜しんで名を汚すな”という意味で自決を勧めたのです。これに対して、岸信介は「名にかへてこのみいくさの正しさを 來世までも語り残さむ」という歌を返しました。”聖戦の正しさを来世まで語り語り残すために今死ぬわけにはいかない”と応じたのです。【他の写真】