何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

安芸の小京都・竹原(4)たけはら町並み保存地区<2>旧松阪屋住宅、ほり川、西方寺、普明閣(広島県竹原市本町3丁目)

【旧笠井邸前から、たけはら町並み保存地区を望む】 旧笠井邸を出た私達は、たけはら町並み保存地区を巡りました。国の重要伝統的建造物保存地区にも指定されています。塩田と町人文化の隆盛が生んだ重厚な家々が並んだ通りを散策しました。【他の写真】

 

 

【旧松阪屋住宅】 少し歩くと左手に数寄屋風の商家の邸宅、旧松阪屋住宅が見えてきました。松坂家は塩田経営、石炭問屋、廻船業、醸造業など多角経営の豪商で、明治維新後に竹原町長も務めた名家です。現在の建物は江戸末期に建築され、明治12年に改築されたものです。当時の当主・松阪昭二は書画や儒学に親しんだ文化人で、見事な京風の庭園も人気です。時間の関係で邸内には入りませんでした。【他の写真】

 

 

お好み焼き店「ほり川」】大正8年創業の醤油醸造元でもあります。店舗は築200年を超える醤油蔵を改装したもの。竹原市を舞台としたアニメ「たまゆら」では、お好み焼店「ほぼろ」として登場します。お好み焼きは多種類あり、美味で定評があります。【他の写真】

 

 

【西方寺(さいほうじ・正面)と普明閣(ふめいかく・右上)】 石段を上って西方寺と普明閣にお参りします。この石段は映画「時をかける少女」やアニメ「たまゆら」にも登場しています。【他の写真】

 

 

【西方寺】 現在地には禅寺・妙法寺がありましたが、1602年に焼失し、翌年、西方寺がこの地に移り、浄土宗に改宗しました。本尊は弥陀三尊。現在の本堂は1702年に再建されたもので、江戸中期のこの地方の仏堂の典型的な建築様式です。【他の写真】

 

 

【守護堂】 広島県重要文化財、木造十一面観音立像(像高85センチ)が安置されています。平重盛の持念仏(個人が身辺に置き私的に礼拝するための仏像)であったと伝えられています。当初は普明閣に安置されていましたが、現在はこの守護堂に移されています。年に1度御開帳の法要があります。【他の写真】

 

 

【西方寺・鐘楼】 竹原市街が見渡せる見晴らしの良い所にあります。この鐘の音は竹原市街によく響き渡るのではないでしょうか。一度鐘を突いてみたいものです。

 

 

【普明閣】 竹原市重要文化財。西方寺の普明閣は、元々は小早川隆景(1533年~1597年)が建立したものです。その後、江戸時代中期の1758年に高台に懸崖造りの高楼の観音堂として建築されました。妙法寺があった頃の本尊、木造十一面観音立像(広島県重要文化財)を祀っています。【他の写真】

 

 

【普明閣・舞台】 普明閣の建築様式は、方三間宝形造、本瓦葺二重屋根、舞台造りで、京都の清水寺を模して建立されました。【他の写真】

 

 

【普明閣・舞台に上がりました】 普明閣の舞台からは竹原市街が見渡せました。ふと尾道市の千光寺の舞台とよく似ていると思いました。2019年11月に尾道市の千光寺にお参りしましたが、千光寺も舞台造りで、尾道市街や水道が見渡せました。【他の写真】

 

 

【普明閣・舞台から竹原市街を望む】 高台にある普明閣は竹原市街のどこからでも見えるとのことです。また普明閣の舞台からは竹原市街を一望に見渡せます。左方面には瀬戸内海が広がっています。【他の写真】

手嶌葵「明日への手紙」