何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

岩国城(2)山頂駅から岩国城へ~城山山道を歴史散策(山口県岩国市横山3丁目)

岩国城ロープウエー山頂駅の展望所兼休憩所。山頂駅に着きました。展望所で一休み後、城山山頂の山道を散策します。岩国城の歴史に触れながら、岩国城目指してウォーキングです。【他の写真】

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山頂駅展望所から岩国市街を望む。錦川と錦帯橋が見えます。展望所には岩国パノラマ写真地図が設置されていました。正面が瀬戸内海に浮かぶ柱島です。この柱島と右側の周防大島の中間点の海上で帝国海軍の戦艦陸奥(39050トン)が爆発、沈没しました。【陸奥公園】  【戦艦陸奥爆沈】【他の写真】

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山頂駅前の交流広場には、からくり時計が建っています。15分ごとに童謡や鵜飼音頭などの音楽が流れ、それに合わせて錦川の鵜飼のからくり人形が動きます。【他の写真】

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遊具の向こうに、岩国城への山道の入口があります。<吉川家17代当主で米子藩鳥取県)14万石藩主であった吉川広家は、1600年(慶長5年)関ケ原合戦の後、岩国領3万石に移封され、岩国領初代領主になりました>

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岩国城への山道。山道は岩国自然休養林(城山国有林)の中を通っています。城山国有林は、江戸時代は岩国藩の藩有林として守られてきました。この国有林の木曽ヒノキと青森ヒバが錦帯橋の木材に使用されています。【他の写真】

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山道をかなり進むと岩国城への登り道になります。「マムシに注意」の張り紙があり緊張しました。<1601年、吉川広家が岩国に赴任しました。広家赴任と同時に岩国城の築城が開始されました>

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城の石垣に沿って登ります。この石垣の向こうに岩国城の二の丸があります。<まず、平時の住居として、横山(現在の城山)の麓に御土居(おどい=藩主の居館)の建築が着手され、1602年(慶長7年)に完成しました。次に、戦時の城として、1603年(慶長8年)から城山山頂に岩国城横山城)の築城工事が開始されました>

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岩国城の二の丸とその右に本丸の城壁が見えてきました。木々に隠れていますが、城壁の向こうに天守が見えます。<岩国城は1608年(慶長13年)に竣工しました。天守閣は複合式望楼型4重6階の唐造りで建造されました。しかし、完成からわずか7年後の1615年(元和元年)に幕府の一国一城令により、岩国城は破却され廃城になったのです>

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二の丸城壁前から岩国市と瀬戸内海を望む。<岩国城は廃城になりましたが、城山麓御土居明治維新まで残りました。御土居跡には絵馬堂である錦雲閣が建てられ現存しています>

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二の丸の城壁前を左側に進み、冠木門(かぶきもん)を目指して登っていきます。<1962年(昭和37年)鉄筋コンクリート構造の天守閣が再建されました。元々天守台(城壁)は本丸の北側にありましたが、再建の天守閣は30m南の見晴らしの良い場所に建築されました>【他の写真】

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階段の上に冠木門(二の丸の大手門跡)が見えてきました。<再建された岩国城は、上の階が下の階より大きく張り出す珍しい構造の桃山風南蛮造りです。3層4階の上に物見が置かれています>

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この門は屋根のない単純な造りの冠木門ですが、この二の丸には大手門がありました。大手門は城の表門(正門)ですのでもっと重厚な門であったと思われます。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20211028154552j:plainZARD「翼を広げて」