剣豪 佐々木小次郎の像(吉香花菖蒲園)。後方の城山の山頂には岩国城が見えます。錦川河畔や錦帯橋周辺には銅像や石碑があちらこちらにあります。吉川英治の小説、「宮本武蔵」には、「先祖以来、岩国の住、姓は佐々木といい、名は小次郎と親からもらい……」と書かれています。これが、佐々木小次郎が周防岩国出身である由縁ですが、福岡県や福井県なども出身地とされています。生年が不詳の為、享年も不詳ですが、史実では慶長17年4月13日(1612年5月13日)、山口県下関市の巌流島(関門海峡)で武蔵に敗れて亡くなったと記されています。【他の写真】
巌流ゆかりの柳(錦帯橋近くの錦川河畔)。佐々木小次郎は元々「岩流」と名乗り、後に「巌流」と改名しました。小説「宮本武蔵」では、秘剣「つばめ返し」は錦川の河畔で揺れる柳の枝を切り、水辺を素早く飛び交うツバメを切り落とすことで編み出したと伝えられています(他の地域で編み出したとの説もあります)。【他の写真】
吉川広嘉公像(吉香公園)。吉川広嘉(きっかわ・ひろよし・1621年8月23日~1679年9月20日)は岩国藩3代目藩主。延宝元年(1673年)に錦川に錦帯橋を創建しました。
「岩国城」の歌碑(剣豪 佐々木小次郎の像の近くで岩国城が望めます)。作詞・鈴木信子、作曲・吉田矢健治、歌・高瀬きよし。吉田矢健治(大正12年10月25日~平成7年11月6日)は岩国市出身の作曲家。第34回日本レコード大賞功労賞受賞。「女心の唄」(歌・バーブ佐竹)、「瀬戸の船歌」(歌・三橋美智也)など多数作曲。【他の写真】
澄川喜一の彫刻作品「日 月 星」(錦帯橋近く錦川河畔)。澄川喜一(すみかわ・きいち)は昭和6年5月2日、島根県生まれ。岩国工業高校卒。東京芸術大学美術学部彫刻科卒。東京芸術大学学長。紫綬褒章、紺綬褒章、日本芸術院賞など。文化功労者。東京スカイツリーデザイン監修。2020年文化勲章。【他の写真】
久能寅夫先生像(錦帯橋いざない街道)。久能寅夫(くのう・とらお・明治23年~昭和52年2月27日・岩国市出身)は、九州帝国大学工学部卒。呉海軍工廠勤務。大正14年ジュネーブ国際労働会議出席(海軍連盟中央委員長)。舞鶴海軍火薬廠製造部長、東洋曹達徳山工場長。戦後、昭和26年岩国市長。岩国商工会議所会頭。岩国市名誉市民。【他の写真】
銅像「参議院議長 重宗雄三君」(錦帯橋いざない街道)。銅像の横には重宗雄三の経歴が記してあり、昭和五十六年三月十三日 岸 信介とあります。重宗雄三(しげむね・ゆうぞう・明治27年2月11日~昭和51年3月13日・岩国市出身)。政治家。山口県出身の岸信介、佐藤栄作とともに「長州ご三家」と言われています。東京商工附属工業補習学校卒。明電舎社長。昭和21年貴族院議員。第2次岸内閣の運輸省。昭和37年から3期参議院議長。参議院自民党の佐藤派を率い重宗天皇と呼ばれる重宗王国を築きました。参議院議長在任日数の3242日は参議院史上最長記録。【他の写真】
歌碑「岩国鵜飼音頭」(錦帯橋いざない街道)。作詞・村井一露、作曲・吉田矢健治。錦川の錦帯橋付近で毎年夏に鵜飼が行われます。観光客は屋形船で見学します。村井一露(むらい・いちろ・本名は村井一郎)は岩国市在住の医師。平成17年9月7日死去。享年90歳。「ドライブ・メモ」(出版社・山口いすゞ自動車・197頁)、「句集 芽柳」(出版社・雷斧舎)などの著書があります。麻里布小学校校歌、麻里布中学校校歌などを作詞。【他の写真】
歌碑「宮中歌会始預選歌」(錦帯橋いざない街道)。昭和57年歌会始お題は「橋」でした。選歌に選ばれた、古澤政士(山口県)の歌「錦帯橋映ゆる水面(みのも)のかがり火にほうほうと鵜を励ます聞こゆ」が記されています。古澤政士は「雪の足跡」を出版しています。【他の写真】
鵜飼の句碑(錦帯橋いざない街道)。錦川鵜飼復活50周年を記念して平成9年に建立されました。岩国鵜飼振興に尽力した玉田空空子と村井一露が詠んだ俳句2句が記されています。 空空子 「うかいの宿と いう高張りの 城下町」 一露 「荒鵜鳴き 夕月すでに 仰がるる」 玉田空空子(本名・玉田太郎)は医師。岩国ライオンズクラブ会長、岩国同人俳句会会長、岩国俳句協会顧問を歴任。第一句集「故郷」、第二句集「冬薔薇(ふゆそうび)」を刊行。20年間理事長を務めた特別養護老人ホーム(岩国市美和町)に句碑が建立されています。平成17年2月死去。【他の写真】