岩国城二ノ丸広場の南西側にある花木園(かぼくえん)。城の石垣に使用されたような大きな石を集めて造成され、季節の花やアラカシ(ブナ科)、ヤマザクラ(バラ科)などの木が植えられていました。奥には古を偲ぶような凝った造りの東屋も見えます。【他の写真】
花木園の奥に四阿(しあ=あずまや・東屋)がありました。よく公園などで見る東屋とは違って、古風な造りで重厚感のあるものでした(中に入ることはできませんでした)。築城当時、この辺りには二ノ丸の櫓(やぐら)が建っていました。【他の写真】
岩国城の入口近くにある休憩所。城の造りに合わせた建物で、周囲と調和していました。岩国城周辺の案内板もありました。中に入ってみます。【他の写真】
休憩所の中はゆったりできるようにテーブルや長椅子が設けてありました。周囲の壁には岩国城や錦帯橋などの資料や写真が展示されていました。世界遺産を目指す錦帯橋のパネル展示も。【他の写真】
岩国藩の歴史そして錦帯橋視聴コーナー。「世紀を超えて繋ぐ情熱」のDVDも流れていました。この画面は錦帯橋と鵜飼の夜景が美しく、世界遺産を目指している錦帯橋にふさわしい情景です。【他の写真】
岩国城旧天守台。岩国城本丸の中心的建築物である天守閣のあった場所です。現在の再建された天守閣は、この場所から50m南にあります。この旧天守台は平成7年~8年に復元工事が行われて完成したものです。【他の写真】
空堀(からぼり)。城郭周辺には多数の堀があり、岩国城を築城した吉川広家(きっかわ・ひろいえ)がいかに防衛に力を入れていたかが分かります。この空堀は、幅19.6m、深さ7.4m、長さ58.2mと大きな堀です。【他の写真】
岩国城北ノ丸跡。本丸の北東に位置しています。東屋もある広い広場ですが、築城時には東櫓(ひがしやぐら)、北櫓(きたやぐら)が建てられていました。北側の石垣はそのまま残っており、413年前の築城時の石積みを見ることができます。【他の写真】
大釣井(おおつるい)。岩国城本丸の西側にあります。この辺りは「水の手」と呼ばれ、城の水場として重要な場所でした。この大きな井戸は、武器弾薬の収納もでき、敵に包囲された時は脱出口としての役目も果たしていたのです。【他の写真】
大釣井から遊歩道(城山園道)を通って岩国城ロープウェイ山頂駅に向かいます。岩国城探索は終わりましたので、城山から再びロープウェイで下ります。岩国城は元和元年(1615年)江戸幕府の一国一城令により壊され、7年という短命に終わりました。関ヶ原の戦い(1600年)で、吉川広家が徳川家康と密約を結んだことにより、西軍総大将であったにもかかわらず毛利輝元の命は救われ、毛利家の存続も許されたのです。けれども毛利輝元に相談せずに密約を結んだことで、後に毛利家と不和が生じました。これが岩国城とり壊しの一因になったとも言われています。