何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

清流通り(1)漢陽寺~水車小屋(山口県周南市鹿野上)

「清流通り」から漢陽寺を望む。清流通りにやって来ました。標高380mの高原なので、空気がとても澄んでいます。漢陽寺の裏山にある「潮音洞」(ちょうおんどう・山口県指定文化財)は、年中水不足の鹿野集落のために、江戸時代初期の1651年、代官・岩崎想左衛門重友が中国山脈から流れ出た錦川上流から水路を引き、漢陽寺の裏山にトンネルを掘り、1654年に完成させた導水路です。この潮音洞から鹿野集落に用水路が引かれたのです。その清流が、367年を経た現在も農業用水として鹿野の人々の暮らしを潤しています。

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今から「清流通り」を散策します。通りの左側に用水路があります。「潮音洞」から引かれた用水路沿いに、漢陽寺から鹿野総合支所までの約600mが、「清流通り」として整備され、四季折々の自然と文化・史跡の散策道となっています。「潮音洞」と「清流通り」は平成20年に環境省により「平成の名水百選」に認定されています。

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「清流通り」を少し進むと、バーゴラと人工の水場があり、休憩所になっていました。江戸時代初期に作られた用水路が、今も、なみなみと錦川の美しい水を送っています。流れる水のせせらぎの音が心を和ませてくれました。

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休憩所から鹿野の町並みを望む。この「清流通り」は自転車や車も通行できます。【他の写真】

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「清流通り」は漢陽寺から南東の方向に延びています。私達が進んでいる通りの左側(北東側)に用水路があります。【他の写真】

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通りには小ぎれいな公園が、私達を待ち受けていました。心が癒され、ゆっくりとした時間を過ごせました。

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公園には、筑紫歌都子(ちくし・かつこ・明治37年7月~昭和59年10月)の碑がありました。筑紫歌都子は鹿野村(山口県周南市鹿野)出身。箏(こと)の演奏家、作曲家。幼少時より音感が天才的で、和楽器だけでなくピアノなども弾きました。福岡に移住しバイオリニストを目指しましたが、箏の演奏家として注目されるようになりました。一度演奏を聴いただけで即演奏ができるという天才的才能が認められたのです。21歳の時NHK福岡放送局で演奏、23歳までに20曲以上作曲し日本音楽著作権協会会員。日本で初めて箏曲の譜面を考案し、以後各地で演奏、作曲数も300曲以上。福岡で筑紫会を創立。RKB毎日放送専属。藍綬褒章受章、福岡市文化賞受賞。【他の写真】

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公園を過ぎて「清流通り」を振り返りました。左右に民家はありますが、通行人や観光客は少なかったです。

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水車小屋に着きました。この水車小屋は、水力を利用して実際に粉を挽く構造になっています。水を利用した人々の営みが伝わってきました。右側のアーチ型の橋を渡って上がると東屋の休憩所。水車小屋の隣にはきれいな小池もありました。【他の写真】

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水車小屋の右側には、自由律俳句の俳人種田山頭火(たねだ・さんとうか・山口県防府市出身・明治15年12月3日~昭和15年10月11日)の句碑がありました。側の石碑には昭和8年10月30日、山頭火鹿野町に来て翌日托鉢をしたなどと記されていました。山頭火については、こちら。山頭火ふるさと館は、こちら。【他の写真】

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山頭火の句碑には「へうへうとして水を味ふ」と記されています。調べてみると、この句は「草木塔」に収録されており、「へうへうと」は、ふらふらとしている、飄々(ひょうひょう)と、などの意味です。この句の詳細な解説は、こちら。【他の写真】

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この水車小屋には、もう一つの石碑がありました。「自由律俳人山頭火夫婦の苑」と記されています。山頭火の妻、種田咲野(たねだ・さきの・明治21年~昭和43年)は、鹿野の隣町の周南市高瀬の出身。旧家の娘である咲野は美人、聡明、堅実な女性でした。種田正一(山頭火)と離婚後も山頭火を支え続けたのです。熊本市で死去。享年80歳。【他の写真】

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水車小屋の近くには東屋と広い駐車場があり、きれいに整備されていました。ここからも高原の町、鹿野の町並みが望めました。「清流通り」は民間と行政がそれぞれ保全活動を行っています。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210513175830j:plain家入レオ 「空と青」