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日本ハワイ移民資料館(3)資料館の建物について(山口県大島郡周防大島町西屋代上片山)

【日本ハワイ移民資料館・全景】日本ハワイ移民資料館(木元眞琴館長)は日本初のハワイ移民資料館として、1999年(平成11年)2月8日オープンしました。この資料館の建物は、1995年(平成7年)に事業家・福元長右衛門の自宅が寄贈されたものです。【他の写真】

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【日本ハワイ移民資料館・玄関】福元長右衛門は1881年(明治14年)生まれ。周防大島町出身です。5人兄弟の次男でしたが、9歳で父親を亡くし、1898年(明治31年)、16歳でアメリカのカリフォルニア州、サンフランシスコに渡り、アルバイトをしながら学校に通い、貿易事業で成功、財を成しました。【他の写真】

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【日本ハワイ移民資料館1階・福元家の台所】1911年(明治44年)、故郷に戻った福元長右衛門は1928年(昭和3年)、当時の金額で3万円(現在の約3億円)かけて、この木造2階建ての豪邸(和洋折衷)を建築しました。【他の写真】

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【日本ハワイ移民資料館・福元家の廊下】この豪邸は、福元氏自ら台湾に渡り、高価な檜、杉を原木で購入、いかだで運んだと言われています。以後、生涯をこの家で過ごした福元氏は、食事はフォーク、ナイフを使い、夜はベッドで寝るという洋風の生活を続けたそうです。

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【日本ハワイ移民資料館1階・福元家の中庭】福元氏は1970年(昭和45年)、89歳で亡くなりました。周防大島町にはこのような帰国者の建てた家が、多く残っています。福元長右衛門はハナヨ夫人との間に、男子2人、女子6人の子供がありました。そのうち現在女子2人が周防大島町に在住しておられます。その他の方は亡くなっています。【他の写真】

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【日本ハワイ移民資料館1階・福元家の廊下・展示室】廊下の突き当りに中庭が見えます。

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【日本ハワイ移民資料館1階・福元家の2階への階段】階段や手摺、欄間や障子も凝った造りで、材質も高級感がありました。【他の写真】

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【日本ハワイ移民資料館2階・福元家の人々コーナー】福本長右衛門の家族の資料や調度品などが展示されていました。【他の写真】

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【日本ハワイ移民資料館2階・カリフォルニアへの移民コーナー】この家の当主、福本長右衛門が渡ったカリフォルニア州の移民について資料と写真が展示されていました。【他の写真】

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【日本ハワイ移民資料館2階・廊下からの展望】北西方向を望む。周防大島町の町並みと瀬戸内海、その向こうに本土、山口県柳井市の琴石山(545m)が見えます。【他の写真】

f:id:nagisa777aoi:20210303145115j:plainGARNET CROW「夢みたあとで」