四階楼(しかいろう)。上関海峡に面して聳え建つ四階楼は、明治12年、維新の志士・小方謙九郎が施主として建てた大壁漆喰の擬洋風木造4階建ての建物です。明治初期の、このような奇抜な和洋折衷様式、大壁造漆喰塗の高層建築で現存しているのは全国でも四階楼のみです。建築に当ったのは地元の大工・棟梁、吉崎治兵衛。建築費は当時のお金で3千円と言われています。国指定重要文化財。【他の写真】
上関町郷土史学習館(四階楼の左側の建物)。ここから四階楼に入ります。四階楼を建てた小方謙九郎は、幕末に高杉晋作が結成した奇兵隊に入隊。後に第二奇兵隊参謀となり、四境戦争では大島口の戦いで作戦指導を行いました。維新後は室津村村会議員。また、汽船問屋でもあった小方の住宅兼店舗及び迎賓・汽船宿として、その後は旅館として四階楼は利用されてきました。まさに四階楼は維新と文明開化の申し子と言えるでしょう。平成3年上関町所有。ちなみに小方謙九郎の実子は、日本の航空発展に尽力した”プロペラひげ”の長岡外史陸軍中将です。【他の写真】
四階楼1階。入口を入ると、漆喰天井の畳の間があり、正面のアーチ状の梁の奥には、龍の漆喰鏝絵(こてえ=漆喰で作るレリーフ)がありました。よく見ると菊水紋がありました。【他の写真】
ここが建物内部から見た四階楼の玄関です。現在は、ここから中に入れません。【他の写真】
四階楼1階。衣類をたたんで置く衣装盆。建物内に飾られている調度品のほとんどは、上関町出身の画家、川口健治画伯から寄贈されたものです。【他の写真】
1階から2階への階段。急な階段でした。元々、1階は事務室になっていたそうです。
2階。宿泊用の4畳半の和室が3部屋ありました。和室ですが窓は開き戸で、擬洋風造りとなっています。見えませんが、左手の南側の和室には骨董の大皿がありました。【他の写真】
3階。3階は壁面に大きな鏝絵や茶室もあります。南側の4畳半の和室にも大皿が飾られていました。【他の写真】
3階の北の6畳間の壁にある唐獅子牡丹の見事な鏝絵。立体感と躍動感に溢れています。この壁により和室でありながら、西洋風の雰囲気が醸し出されています。
3階の茶室。数寄屋造りの茶室に掛けてある室生犀星の詩の掛軸(レプリカ・植田正次郎氏寄贈)には、ほろりとさせられました。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの……」(「小景異情<その二>」)。【他の写真】
四階楼最上階の4階。18畳の大広間。この部屋はまさに別世界でした。四方にフランス製のステンドグラスの両開きの窓がありました。ステンドグラスの色は赤、青、緑、黄で、短冊や三角の形状で組み込んであります。日光の具合により色合いが変化し、夕日が差し込むと幻想的な空間を醸し出します。天井には鳳凰の鏝絵が施されています。【他の写真】
4階天井の鳳凰の漆喰鏝絵。五葉をつくりだした漆喰塗天井の中央に鳳凰を施しています。私のような素人目にも見事と思える鳳凰でした。
四階楼4階のステンドグラス両開きの窓から上関海峡を望む。海峡の手前の施設は「道の駅 上関海峡」。その左に少し見える2階建ての建物は上関町総合文化センター。