何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

瀬戸内海を気の向くままドライブ! 名所、イベント、自然、街並み、建築物、夜景などなど、何でも見て回ります! 写真撮りの旅! 瀬戸内海の歴史的人物・著名人、数々の伝説も紹介していきます。

下瀬美術館(3)エミール・ガレの庭(広島県大竹市晴海2丁目10―50)

【下瀬美術館の望洋テラスからエミール・ガレの庭を望む】 エミール・ガレが愛した植物をなどを植栽して造園されたエミール・ガレの庭です。下瀬美術館のアンバサダーに俳優の藤ゆみあさんが就任されました。【他の写真】

 

 

エミール・ガレの庭入口】私たちは下瀬美術館のエミール・ガレの庭にやって来ました。アール・ヌーヴォーを代表する工芸家エミール・ガレは、自然をモチーフとした作品を手掛けるだけでなく、植物学者としても知られています。そんなガレの作品に登場する草花を中心に瀬戸内の気候に合わせて植栽されました。【他の写真】

 

 

エミール・ガレの庭の入口付近から瀬戸内海を望む】 厳島(宮島)や瀬戸内海の島々が遠くに見えます。あいにくの曇りなので、空も海も灰色です。【他の写真】

 

 

【入口付近からエミール・ガレの庭を望む】探求心の強いエミール・ガレは自身の作品に日本やイスラム、中国といった異国の文化も積極的に取り入れ、自らの芸術を独創的に広げていきました。そんなガレの作品は日本人にもとても人気があります。このエミール・ガレの庭は美しいです。広島県出身の新星、藤ゆみあさんも、この優美な庭園をワクワクしながら散策されたのでしょうか。エミール・ガレの庭に佇む藤ゆみあさん……ステキな絵が浮かんできます。【他の写真】

 

 

エミール・ガレの庭の西側には下瀬美術館のミラーガラス・スクリーンが庭を映しています】フランス北東部の町、ナンシーにあったガレ邸の庭園にはジャポニズムの影響が感じられるエリアを設け、作品のモチーフにしていました。エミール・ガレの庭に入った西側のエリアは、そのガレ邸の庭園をイメージして植栽されています。【他の写真】

 

 

エミール・ガレの庭の海側には「水辺のヴィラ」も並んで建っていました】 シャルル・マルタンエミール・ガレは1846年5月4日、フランスのロレーヌ地方ナンシーで生まれました。父親は高級ガラス器と鏡の小売販売店を経営していました。【他の写真】

 

 

【エミールガレの庭の北側の円形の池前から南方向を望む】ナンシー帝立高等中学校を優秀な成績で卒業したガレは、その後ドイツに留学しドイツ語とデザインを学びました。1867年フランスのマイゼンタールのガラス工場でガラス製造の技術を研修しました。1875年ガレは牧師の娘、アンリエット・グリムと結婚しました。1877年ガレは父に代わって工場と店の経営者になりました。【他の写真】

 

 

【北東側からエミール・ガレの庭を望む・後方の下瀬美術館の大きなミラーガラス・スクリーンがエミール・ガレの庭を映して景色が増幅しています】 1878年ガレはパリ万国博覧会で花瓶、陶器、ガラス製品を出品し、銅賞を受賞。また庭園装飾のための陶器で銀賞を受賞。1884年第8回装飾美術館中央連盟展で金賞を受賞しました。【他の写真】

 

 

【北側の円形の池からエミール・ガレの庭を望む】ガレは1885年日本の高島得三(高島北海・山口県萩市出身・日本画家・植物学者・地形学者・地質学者・地理学者・フランス政府より教育功労賞受賞・文展審査員)と知り合い、日本の植物や文化、水墨画の技法などを学び作品に反映させました。ガレは日本の美術や植物から大きな影響を受けたのです。【他の写真】

 

 

【円形の池】 ガレは1889年のパリ万博ではガラス部門でグランプリ、陶器部門で金メダル、家具部門で銀賞を受賞。動植物をはじめ自然界の躍動感を吹き込んだようなガラス作品の数々が高い評価を受けました。1900年のパリ万博でもグランプリを獲得し不動の評価を得ました。ガレは1901年ナンシー派の会長に就任しましたが、1904年9月23日白血病で亡くなりました。享年58歳でした。【他の写真】

 

 

エミール・ガレの庭に植栽されているガレの愛した草花の数々】下瀬美術館のガレのコレクションは下瀬ゆみ子氏(下瀬美術館オーナー)が収集したものです。アール・ヌーヴォーを彩った花器など、ガレが制作と自然の探求に傾けた情熱が感じられるガラス器から大型家具まで貴重な60点以上が収蔵されています。【他の写真】

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