何でも見てやろう!瀬戸内海の小さな旅!

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軍艦ミュージアム(3)1/100スケールの軍艦模型(広島県広島市西区草津新町2-26-1 アルパーク東棟4階)

【1/100スケールの戦艦「大和」の模型(軍艦ミュージアム)】 1/100スケールの戦艦「大和」の模型が軍艦ミュージアムに展示してありました(軍艦模型の展示品は全てガラスケースに入っていますので写真にはガラスの反射などがあります)。戦艦「大和」の全長は263mなので、この模型の全長は2.63mです。【他の写真】

 

 

【1/100スケールの航空戦艦「伊勢」の模型(艦首右舷から撮影)・全長2.2m】 ミッドウェー海戦(1942年6月5日~7日)で主力空母4隻を失った日本海軍は空母戦力を回復させる方針を決定しました。この方針に基づき、戦艦「伊勢」(1917年竣工)を改造、空母化し、1943年9月航空戦艦「伊勢」(公試排水量38662トン・全長219.62m、最大速力25.31ノット・乗員1600名)が誕生しました。カタパルト2基を装備し、水上偵察機「瑞雲」14機、艦上爆撃機「彗星」8機の合計22機を搭載しました。【他の写真】

 

 

【1/100スケールの航空戦艦「伊勢」の模型(艦尾左舷から撮影)】 航空戦艦「伊勢」はレイテ沖海戦(1944年10月20日~25日)に参加しました(航空機は不搭載)。対空戦闘でアメリカ軍機撃墜44機を報告。1944年11月南シナ海を強行突破して資源を輸送する「北号作戦」に参加、1945年2月無傷で呉に帰還。3月燃料不足のため航空戦艦「伊勢」は呉港外で防空砲台となりました。以後、呉軍港空襲のアメリカ軍機を主砲や高角砲で撃破しました。7月28日アメリカ軍機の攻撃で大破、着底しました。乗員の戦死者は艦長はじめ573名。終戦後、引き揚げられて一時住宅として利用されました。【他の写真】

 

 

【1/100スケールの航空母艦「赤城」の模型(艦首右舷から撮影)・全長2.6m】 航空母艦「赤城」は1927年3月竣工。基準排水量36500トン、全長260.67m、最大速力31.2ノット、乗員1630名。搭載機は常用66機、補用25機。1941年12月7日真珠湾攻撃(12月8日)参加直前の保有機は零式艦上戦闘機ゼロ戦)21機、九九式艦上爆撃機18機、九七式艦上攻撃機27機。【他の写真】

 

 

【1/100スケールの航空母艦「赤城」の模型(艦尾右舷から撮影)】 航空母艦「赤城」は1941年12月8日の真珠湾攻撃に参加。午前1時30分第一次攻撃隊第一波(九七式艦上攻撃機27機、零式艦上戦闘機ゼロ戦)9機)が空母「赤城」から発進、出撃。その後第二波(九九式艦上爆撃機18機、零式艦上戦闘機ゼロ戦)9機)が発進、出撃しました。攻撃隊は真珠湾停泊中のアメリカ海軍太平洋艦隊と基地を攻撃、大打撃を与えました。その後セイロン沖海戦に参加、イギリス海軍東洋艦隊の空母や巡洋艦など多数撃沈しました。1942年6月のミッドウェー作戦に参加。アメリカ軍機の攻撃を受け大破、航行不能になり、6月6日午前4時55分日本海駆逐艦の魚雷発射により沈没しました。乗員の戦死者221名、生存者1480名。【他の写真】

 

 

【1/100スケールの航空母艦「瑞鶴」の模型(艦首右舷から撮影)・全長2.6m】 航空母艦「瑞鶴」は1941年9月竣工。基準排水量25675トン、全長257.50m、最大速力34.23ノット、乗員1660名。搭載機は常用72機、補用12機。最終時の保有機は零式艦上戦闘機ゼロ戦)28機、零式戦闘爆撃機型16機、彗星艦上爆撃機11機、天山艦上攻撃機14機。【他の写真】

 

 

【1/100スケールの航空母艦「瑞鶴」の模型(艦尾左舷から撮影)】 航空母艦「瑞鶴」は1941年12月8日の真珠湾攻撃に参加。「瑞鶴」からは58機が出撃、未帰還機ゼロという幸運なスタートを切りました。1942年1月のラバウル攻略戦に参加。4月のセイロン沖海戦では、英国空母1隻、駆逐艦1隻、コルベット1隻、タンカー2隻を共同で撃沈。その後、5月の珊瑚海海戦、8月~10月の第二次ソロモン海戦、10月の南太平洋海戦に参加。1944年6月のマリアナ沖海戦で小破し本土に帰還。レイテ沖海戦で攻撃を受けた空母「瑞鶴」は10月25日14時20分沈没しました。乗員の戦死者843名、生存者866名。【他の写真】

 

 

【1/100スケールの駆逐艦「秋月」の模型(艦首右舷から撮影)・全長1.3m】 駆逐艦「秋月」は1942年6月竣工。基準排水量2701トン、全長134.2m、最大速力33.0ノット、乗員273名。対空戦に優れた防空型駆逐艦。1942年10月ガダルカナルの戦いで輸送作戦に参加。第四水雷戦隊旗艦。25日敵機Bー17爆撃機の攻撃で「秋月」に爆弾1発が命中、27日にラバウルに入港しました。【他の写真】

 

 

【1/100スケールの駆逐艦「秋月」の模型(艦首左舷から撮影)】 1943年1月駆逐艦「秋月」はガダルカナル島へのドラム缶輸送作戦に従事し、アメリカ潜水艦の魚雷1本が命中、ショートランドに入港、応急修理を行いました。7月5日本土に帰還、三菱長崎造船所で修理工事を行い、兵装も充実させました。11月岩国を出港、空母2隻をトラックまで護衛。12月トラック泊地から輸送作戦に従事。1944年1月第十戦隊旗艦。2月リンガ泊地から護衛任務。6月マリアナ沖海戦、7月小笠原諸島硫黄島方面輸送作戦、10月レイテ沖海戦に参加。10月25日8時59分、エンガノ岬沖海戦で爆発を起こし二つに分断され沈没しました。戦死者183名。【他の写真】

山口采希「ラバウル小唄」