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道後公園(愛媛県松山市道後公園)

道後公園、外堀。代々河野氏が城主であった湯築城(ゆづきじょう)跡が、道後公園(県立の都市公園)になっています。湯築城の外堀が現在もそのまま残っています。

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道後公園の麓にある、「石造 湯釜」。湯釜上部に置かれた宝珠の「南無阿弥陀仏」の六字名号は、鎌倉時代湯築城の城主、河野通有(こうの・みちあり)の依頼により、一遍上人が刻んだものと言われています。一遍上人河野氏の一族(河野通有の祖父・通久の兄、河野通広の第二子)で、出家後、時宗の開祖となりました。「生ずるは独り、死するも独り、共に住するといえど独り、さすれば、共にはつるなき故なり」は一遍上人の言葉。

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湯築城資料館。河野氏の歴史や資料が展示してあります。湯築城は、1335年、伊予国の守護であった河野通盛により築城されました。代々河野氏が城主でした。1585年、全国統一を目指す豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景の攻撃を受け、河野通直は、降伏、城を明け渡しました。

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湯築城資料館館内。現在の道後公園の模型。右上の建物が、松山市立子規記念博物館。道後公園は、日本の歴史公園100選に選ばれています。

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湯築城資料館館内。香川元太郎作画「湯築城物語」。代々河野氏が城主を務めた、湯築城の再現図。

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湯築城資料館館内。発掘調査で、湯築城跡から出土した遺物などが展示してあります。

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道後公園の丘陵の上部。「杉ノ壇」と呼ばれる場所で、鍛冶などを行っていた場所と言われています。

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道後公園の展望台。この場所に湯築城がありました。高さ30mの丘陵の最上部です。14世紀前半から16世紀後半にかけて、約250年間存続した城跡です。

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展望台から松山市街(南方)を望む。

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展望台から松山市街(西方)を望む。小高い山は、城山公園。頂上に松山城がかすかに見えます。松山市街の向こう側は瀬戸内海です。

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城山公園(望遠で撮影)。頂上に聳えるのが松山城関ヶ原の戦いで戦功のあった加藤嘉明が、1602年、松山城の築城に着手しました。1603年、加藤嘉明がこの地を「松山」と命名し、松山という地名が公式に誕生しました。

 

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